かがなべて

言葉遊びと、毎月の歌仙など

石蕗あかりの巻 満尾

いかにも名のある紫陽花とみました。七段花?墨田の花火?

いよいよ名残の裏。緑の美しい庭に面した会場にはすでに一句目が出ておりました

 

北塞ぐフラワーロックの一休み   佐藤

 

フラワーロックというもの存じませんでしたが、鉢植えの花みたいなすがたで音

(というか空気の振動?)に反応して動くという玩具なのだそうです。

 

肉より淡きたましひの色  おるか

 

どういう付け筋なんだ?!という二句目ですね。初案は音に関した句だったのですが、以前の句に使われている表現を避けているうちにこうなりました。歌仙の終わり近くになると、この問題が起きます。

 

浅春の限界集落また一つ  小林

 

ようやく春が訪れて、自然は緑の命を吹き返すけれど、人間のほうは、ますます減って淋しくなってゆく。人類だけが永遠に栄えるわけはないんですから、そういうものでしょう。

 

自転車かごに麗か積んで  露花

 

限界集落だろうと荒野だろうと、春の光の中を自転車でちょっと出かけてみる。降り注ぐ陽光が籠の積み荷なのだ!。いいですね。ポジティブでかつ詩的です。

さていよいよ花の定座です。

 

しづけさやさくらはさくら人は人  山椒魚

 

いい句ですね!すばらしい! 人は様々な思いを抱いて花の下に佇み、桜は桜自身の命の花をいとなむ。この静けさは深い。桜の句はさまざまありますが、こういう視点の句は、なかなかないのでは?

 

初虹はるかふるさとの道   平井

 

きれいにまとめましたね!音韻がまず美しい。静けさの中で花と対峙し、初虹を遥かに眺めやりながらふるさとの道をたどれば、冒頭の庭園へとかいきしてゆくとも思えます。

大雪などで、途中お休みもありましたがついに満尾!

 

 

歌仙「石蕗あかり」の巻名残表

山頭火のお軸を床の間に

冬の間なかなか集まることが出来なかったので、久しぶりに顔を合わせての歌仙です。前回は花の座に

 

 地震の地に生きて桜の咲き初むる  笹次

 

元旦の大地震でした。瓦礫に帰した土地にも花は咲き出だす。付けは

 

蜃気楼へと鳥の飛び立つ  平井

 

儚く消えそうなあてどないものへむかって、しかし、果敢に飛び立っ鳥の姿。早いものでもう春四月です。名残の表は無季の長句

 

きざはしへ瑞枝翳して鎮もれる  正藤

 

季語は使ってないけれど、当季の気分の句ですね。荘厳ともいえるみずみずしいの枝のあり様。

 

日の移り来し仲良し地蔵  中江

前句の「きざはし」は地蔵堂へと向かう道だったのですね。一転して和やかな景色。

 

青葉騒をとこの影を追ひかけて  笹次

 

青葉の騒ぐ音の中を駆けてゆく二人。 のっけからやや不穏な恋の情景。

 

香水変へたねと言はれても  橋本 

 

もう元に戻ることはできない…のかな?

 

朝まだきふとそのひとを想ふとき   小林

 

朝の、今だ夢の気配が残る中、思うのその人。しみじみとします。

 

ほらヘルメットあるから乗れよ  露花

 

ぶっきらぼうなとこが、かっこいい!夢うつつの気分から、オートバイで一気に走り去ってゆく恋の終わり。

さて次は秋の句をお願いしましょう。

 

兄ぼつり弟ぽつり良夜かな  山椒魚

 

秋の月、早めに出ましたね。こうなると前句の二人も兄弟のことだったみたいにも見えて、元気な兄弟も、年を経てしずかに月に照らされているかのよう。言葉も特にいらない二人の姿に見えてきます。

 

稲の香よぎるプラットホーム     正藤

 

小さな駅のホームなのでしょう。黄金色に実った稲の香りがふとただよってくる。電車はなかなか来ないみたいですね。

 

晩秋の落慶法要鐘を撞き   中井

 

お住まいのところのちかくで落慶法要があったんですって。秋も終わりのよう。

 

炎を囲む沈黙長し   平井

 

無季の短句は難しいものですが、にぎやかな落慶法要から、護摩を焚いたり、神事の火を焚いたりする様のようでもあり、同時に炎を見つめ己を見つめる内省的な気分もうかがえて、うまい付けですね。

 

縁側に猫丸くゐる昼下がり  中江

 

平和です。無季を二句挟んだので,次は冬の句を

 

湯豆腐締めに杯を重ねて  笹次

 

えっ!湯豆腐が締めですか。私にはメインディッシュですよ。健啖でいらっしゃるんですね。でも寒くなる時分の楽しみと言ったら鍋で一杯やることですよね。

 

あっというまに名残の表終わっちゃいました。たのしかった。次回は早くも名残の裏です。

芭蕉の館にて三浦雅士氏長谷川櫂氏の歌仙満尾会談

歌仙の満尾を寿いで,三浦雅士氏、長谷川櫂氏の対談を、近くでうかがえて楽しかったですね。

三浦氏は「虚構と人生」みたいな、いわばプルースト的な命題から始まって、多様な話題を悍馬に例えるなら、それぞれの馬に目いっぱい鞭をくれながら,何頭も繋いだチャリオットを思った方向に向けていくというディオクレスも土下座する手綱さばきをみせつけていらっしゃいました。

詩の書かれた場所、歌仙の場というものから、地霊について話が及び(ドゥエンデなんて言葉きいたの何十年ぶりかしら)、大岡信の「宴と孤心」の「宴」というものにどうやって落としてゆくのかな、とよそながらに危惧していたら、見事に山中温泉と、大岡信丸谷才一井上ひさし、諸師の歌仙の場を仕掛けた人物への挨拶につないで感動の大団円。見事としかいえないお話ぶりでした。

長谷川氏は終始聞き役というか控えめな態度をキープしつつ、読売新聞の方からの希望などをさりげなく挟んで、編集するほうから見たら非常に信頼できる存在だろうということが偲ばれました。

歌仙、清書させていただきました

三浦雅士氏って、楽しい方でらっしゃいました。いつか、変形生成文法についてとか、お話うかがえると、楽しいだろうなー。

 

初歌仙

歌仙会場のお正月の床

雪が舞う中で、今年の歌仙の会を始めました。ここ山中温泉芭蕉の館」でも地震の被害は特になかったそうです。それでも、能登に親戚や知人のいらっしゃる方も多く、参加できない方もいらっしゃいました。

それでも、新しい年が、困難は多くとも,これからは言霊の幸きわう良き年でありますようにと祈らずにはいられません。さて、前回は、昭和レトロにどっぷりとはまった展開でしたのであらたまの年の初めの句では、どうなるでしょう。

 

清和なるタイムカプセル深く埋め  佐藤

 

過去は過去として埋めておこうということですね。なるほど。「清和」は年号みたいですが、辞書には「世の中がおさまっておだやかなこと・きよらかであたたかい時節」とあって、初夏の季語だそうです。知りませんでした。知らない季語がるものですね。

 

  祇園囃子についさそはれて  平井

 

恋の呼び出しにはとても良いけど、前句と雰囲気がずいぶん違っちゃいますね。

 

夏の月指からませて汀ゆく   笹次

 

祇園ばやしの中に出会った人と、琵琶湖のほとりでも歩いていらっしゃるのでしょうか。月光の砕ける湖の漣に二人の足跡は消えてゆく。ロマンチックです。

 

  ありのすさびと云ふもののせい   橋本

 

源氏物語に「古歌」として引用されている歌

在る時はありのすさびに憎かりきなくてぞ人の恋しかりける

 

生きているときはその人のそばにいることが普通過ぎてかえってつまらないことで憎らしかったりしてしまうものだが、いなくなってからは何と恋しい事か。…わかる。平安時代も今も人間は同じように愚かなものですね。 そんな「ありのすさび」のせいで、気分を害したり、喧嘩したりしてしまったなー、という感じ。

 

目玉焼き片目つぶれし予感ふと  佐藤。

 

なんとなく不吉っぽい目玉焼き。ふと指す不安の影に恋の終わりが暗示されています。

つぎは春の句です

 

春風入れてカーテン揺れて   林

 

目玉焼き、の台所からリビングへ移動したようですね。春の風が入ってきて心地よい明るい展開。

 

地震(ない)の地に生きて桜の咲き初むる   笹次

 

記録的な大地震で植物もびっくりしたことでしょうが、それでも瓦礫の中に桜が咲き出す。「国破れて山河在り」、簡単に「復興を祈る」などというのも、白々しい気がしますけれど、物言わぬ草木の姿には慰められることが多いものです。祈りと希望の込められた一句とおもいました。

 

蜃気楼へと鳥の飛び発つ  平井。

 

全句の願いを受けて、まだ形の定まらないものへと果敢に飛び立つ鳥の姿をそえた。

これで、初折も終わり。次回からは名残の表に入ります。

十一月の歌仙「石蕗あかり」の巻

まだ句が、書き込まれる前の、下絵。この上にどんな展開が、あるのでしょうか。

発句は

 

庭園の石蕗のあかりのひとところ   佐藤

 

この日の会場、芭蕉の館の玄関には石蕗の花がいけてありました。ぱっと明るい黄色が目に飛び込みます。さて、脇は

 

瀬音眠らず山眠り初む     正藤

 

冬枯れの山に高く響いて聞こえる瀬音。夜ともなればひとしおです。「瀬音眠らず」という表現うまい。

そして「山眠る」は面白い冬の季語ですがそれを対比的に持ってきたところが実に巧者という感じ。

 

湯の里に生きて五代目寒造り  笹次

 

作者の御令息が、まさに五代目でいらっしゃるのだそうです。すばらしい。

 

手取りの軽き金継ぎの椀   平井

 

何代も続く旧家には様々なしきたりも、骨とう品もあることでしょう。それらを大切にまもり、割れた器は金継ぎをして大切に使っているのですね、漆の椀の手取りは軽い。山中塗なのでしょうね。

 

春の月埃もろとも本を売り   橋本

 

「売り家と唐風に書く三代目」って狂歌じゃないけど、なんだか家運が傾いてきたような感じがしちゃいますね、すみません。

 

二度寝を覚ます亀の鳴くなり   佐藤

 

  面白い。亀鳴くは使ってみたい季語のひとつですが、わたしは、いまだこれというものはつくれません。軽みがうまいな。

初折の裏に入ります。春の句もう一句お願いしましょうか、

 

師を囲み賑はひ解かぬ夕霞   正藤

 

春の長い日暮れの時間も歓談は尽きない。夕霞の中の人影はそのまま仙人たちのようにも見えてくる…のかな?

さてこの後、突然懐かしの昭和 三句つづきます、無季の句をお願いしただけなんですけど。

 

洋もく胸に哀愁酒場   笹次

 

洋もくって外国製の煙草のことで、哀愁酒場は昭和歌謡の題名ではなく、実際に、ただ哀愁のただよう酒場のことなんだそうです。

 

飴舐めて「黄金バット」の紙芝居   平井

 

黄金バットってテレビアニメで見たことがあるような気がしますが、もとは紙芝居だったんですか。そっちのほうが味わいがありそうですね。

 

岬をめぐるボンネットバス   橋本

 

さて来月は夏の句に参りましょう。

新涼の風の巻十月

会場の「芭蕉の館」のお庭。やや色づき始めた風情です。さて、先月は名残の表の、冬の月がでたところまででした。もう一句冬の句をお願いしましょう。

 

 霜夜の鶴の遠ざかりゆく  平井

 

霜夜の鶴とは凍鶴と同様、寒さに耐える姿の鶴で、ひとかたまりの季語だそうです。普通は羽毛のなかに嘴をいれ片足を上げてじっとしている姿を思い泛べますが、この鶴は飛んでいるんでしょうか。

さて、ついに名残の裏に入ります。無季の句を挟みましょう。

 

磴百段立ち止まりては空仰ぐ   中江

 

百段も続く石段、それは時々立ち止まりますよね。見上げる空に果てに鶴は消えてゆくのか。

 

鐘の音消ゆるまでのはるけさ  橋本

 

石段を上り詰めたところに、鐘楼があった…のかな?

 

 

老夫婦指さす先のすみれ草   井上

 

良い句ですね。ようやく暖かくなった春の日に、小さな花を見つけて微笑みかわす二人。

名残の裏は生老病死などは避けるといいますが、この句は、むしろ御能の高砂みたいにめでたささえ感じます。味わい深い一句。

 

鶴仙渓の少し暖か  佐藤

 

鶴仙渓山中温泉の名勝で遊歩道の苔の緑も美しく、春の花、夏の川床、秋の紅葉も有名です。谷沿いなので冬は寒いけど、お天気に誘われて出かけたくなるのも春らしい。

次はついに花の定座です。

 

花吹雪笑みのこぼれて角隠し   中江

 

万朶の花の絢爛たる花吹雪の中にこぼれる笑顔。その後ろの「角隠し」という言葉に一瞬驚きますが、花嫁のえがおであったのか、と、いっそうめでたさが強調されます。花と花嫁、はなやかですね。

 

水面をゆらす霞かぐわし  平井

 

おーっと、何となく寂し気な挙句のような気もしますが、それまでの流れが、明るかったせいでしょうね。

今回の「新涼の風」の巻は、あっというまに満尾になったような気がします。

さて来月からは、またあたらしい歌仙がはじまります。お楽しみに。

 

歌仙「新涼の風の巻」九月

文台に乗せたけど筆を忘れて

朝夕はすずしくなってきました。暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものです。

句を書き記すべく、巻紙に絵も描き添えたのに、筆を忘れちゃったんですよねー。

さて、初折の第九句目は

 

 空見上ぐ紙縒で作る指輪して   佐藤

 

結婚への憧れもないではないけど、ごく仄かな願いとして秘めた恋なのでしょうね。

十句目

 豈はからんや長きつきあひ   井上

 

なんとなく付き合い始めて、気がつくと思いがけず長い時が立っていた。そういうものですよね。激しく燃え上がる恋は、やっぱりすぐ燃え尽きますものね。

十一句目花の座です

 花の舞光と影に人を見し   平井

 

目くるめく落花のなかに立ち上がる面影は、永遠の恋人の姿か。初折の裏の最後は

十二句

春果てしなり我が愛でし日々  正藤

 

うーん

さて、名残の表へまいります。無季の句

 

靴紐を変えるばかりの旅支度  橋本

 

恋が終わって今度は旅。

 

二句目

人の往き交ふ走り根の道  小林

 

木の根の走っているのが見える、そんな道でも人が行き交っている。確かにかなりの登山道でも人がいっぱいの昨今です。次は夏の句をお願いしました

三句目

貴船にて友と集ひし鮎料理   井上

 

走り根、つまり木の根。木の根道といえば鞍馬か貴船。実際にお友達と貴船の川床に遊んだ思い出の御句だそうです。

四句目

 青鬼灯の形定まらず  佐藤

 

まだまだ小さな鬼灯なのでしょうね。山村の道野辺にありそうです。

五句目

若人の装ひ十色園めぐり   正藤

 

庭園をそぞろ歩く姿も若い方方はカラフルで、緑の中の花のようですね。明るい印象の句です。。

六句目

石踏み渡り珍獣探し  平井

 

公園の敷石か飛び石か。げんきよく歩き回りながら珍獣探しの遊びをしている。ポケモンかな。

七句目

老易く学成り難し秋の暮れ  小林

 

ポケモンで遊んでいた少年もあっという間に老いて、すでに秋の暮れ。淋しい。

 

八句目

スケッチブックの街冬隣  橋本

 

「秋の暮れ」という季節感の後は「冬隣」しか思いつけなくて…。

九句目

縁側の筆立てにあるひ孫の手  佐藤

 

ひ孫の手、とはまごの手の小さいもののことだそうです。

もっとも本来は「孫の手」ではなく「麻姑の手」だそうですけどね。長い爪の仙女だそうです。

十句目

なにをさがしに夕風の中  井上

 

何を探していたのか忘れるということも実際ありますが、こうして書き留めると人生に、何を探し求め続けるのか、という哲学的な問いも聞こえますね。

十一句目月の座

 

漣に歪み耀やふ冬の月   正藤

 

きれいな一句で、時間となりましたまた来月です。。