雪が舞う中で、今年の歌仙の会を始めました。ここ山中温泉「芭蕉の館」でも地震の被害は特になかったそうです。それでも、能登に親戚や知人のいらっしゃる方も多く、参加できない方もいらっしゃいました。
それでも、新しい年が、困難は多くとも,これからは言霊の幸きわう良き年でありますようにと祈らずにはいられません。さて、前回は、昭和レトロにどっぷりとはまった展開でしたのであらたまの年の初めの句では、どうなるでしょう。
清和なるタイムカプセル深く埋め 佐藤
過去は過去として埋めておこうということですね。なるほど。「清和」は年号みたいですが、辞書には「世の中がおさまっておだやかなこと・きよらかであたたかい時節」とあって、初夏の季語だそうです。知りませんでした。知らない季語がるものですね。
祇園囃子についさそはれて 平井
恋の呼び出しにはとても良いけど、前句と雰囲気がずいぶん違っちゃいますね。
夏の月指からませて汀ゆく 笹次
祇園ばやしの中に出会った人と、琵琶湖のほとりでも歩いていらっしゃるのでしょうか。月光の砕ける湖の漣に二人の足跡は消えてゆく。ロマンチックです。
ありのすさびと云ふもののせい 橋本
源氏物語に「古歌」として引用されている歌
在る時はありのすさびに憎かりきなくてぞ人の恋しかりける
生きているときはその人のそばにいることが普通過ぎてかえってつまらないことで憎らしかったりしてしまうものだが、いなくなってからは何と恋しい事か。…わかる。平安時代も今も人間は同じように愚かなものですね。 そんな「ありのすさび」のせいで、気分を害したり、喧嘩したりしてしまったなー、という感じ。
目玉焼き片目つぶれし予感ふと 佐藤。
なんとなく不吉っぽい目玉焼き。ふと指す不安の影に恋の終わりが暗示されています。
つぎは春の句です
春風入れてカーテン揺れて 林
目玉焼き、の台所からリビングへ移動したようですね。春の風が入ってきて心地よい明るい展開。
地震(ない)の地に生きて桜の咲き初むる 笹次
記録的な大地震で植物もびっくりしたことでしょうが、それでも瓦礫の中に桜が咲き出す。「国破れて山河在り」、簡単に「復興を祈る」などというのも、白々しい気がしますけれど、物言わぬ草木の姿には慰められることが多いものです。祈りと希望の込められた一句とおもいました。
蜃気楼へと鳥の飛び発つ 平井。
全句の願いを受けて、まだ形の定まらないものへと果敢に飛び立つ鳥の姿をそえた。
これで、初折も終わり。次回からは名残の表に入ります。